どこに書けばいいかわからないからブログに書こう
成人式を終え、クラス会などをして、自分の学んでることを声に出して言う機会が多かったことで「そういえば、自分、文系だったなあ」ということをしっかりと再認識したのでこのブログを書きます。
私は今大学でなんの勉強をしてるかというと、日本文学を学んでいます。ついでにゼミでは小説を書いてます。冷静に考えてヤバいですよね。
将来なんの役に立つの?と言われると「う〜〜ん」と正直なります。自分が楽しいから、としか言えません。
ゼミで小説は書いてますが、自分で自分の才能に見切りをつけてるし別に書いてて滅茶苦茶楽しい!というわけでもないので小説家にはなりません。てかなれません。自分の文で他人を楽しませられる自信がいつまでも生まれません。
じゃあなにしたいの?と言われると、やっぱり「う〜〜ん」となります。
ただ、私は見ての通り滅茶苦茶つたない言葉しか使えないのですが、こうやって自分の思ってることを「言葉」として出力するのは案外好きなのです。だから、出版社とかに入ったりしちゃってなにかいろんなことを言葉にしてみんなに向かって投げつけられたら1番気持ちいいだろうなとは思います。この気持ちいいというのは性的な意味というよりはお風呂上がりの爽快感的な方です。
流石に私も出版社に入るってことがどんだけ大変なことかはわかってますし、それこそ自分のポテンシャルも誰よりも理解してます。ウッス。
だからまあこうやって誰も見てないブログを更新しているのですが。
文系ってなんのためにあるの?とか文系の学生は楽してるとか文系は大学院までいくくらい極めなきゃ駄目とか、そういうのあるじゃないですか。間違いないと思います。そう思うと思います。てか実際そうですよ多分。私からしたら理系の人たちのやってることはほぼ魔法です。スマホとかパソコンとか作りかたわかってる人いるじゃないですか?訳わかりません。同じ人間?あとマグロ養殖できた人、凄い!滅茶苦茶尊敬します。マグロ養殖した人はノーベル平和賞とるべきだと思います。
あと文系は文系でも、英語とかフランス語とかスペイン語とか言語やってる人…凄い!尊敬します。日本と別の国を、頭の中で行ったり来たりできるのほぼドラえもんですよ。滅茶苦茶凄い。
それと、絵とかそっち系!凄い!器用!音楽にしろ絵にしろ小説にしろ、何にもないところに自分たちでいろんなアイデアを持ってきて組み合わせて気づいたら街ができちゃってるみたいな…すごい。あとは、もう二度と現れない2014年1月2日の午後2時45分35秒地球が何回か回った時みたいな超ピンポイントなタイミングをそっくりそのまま切り取っちゃったりできるの…ほんとすごい。普通は出来ないよ。そんなこと。
てかみんな凄いです。地理の人、気象わかる、災害とか防ぐ、凄い。法律の人、修羅場おさめる、経済の人、銀行回す、教育の人、人を作る、運動の人、滅茶苦茶動ける。とりあえず凄いですみんな。
じゃあ日本文学の人ってなにが凄いの?
この問いまで時間稼ぎするためにとりあえず他学部を褒めてたんですけど。
なにが凄いかって言えばですね、凄いものがなんで凄いかわかるようになるっていうのが凄いと思います。
こうやって私たち、会話してるじゃないですか。あなたのことですよ。あなた。会話してますよね?その会話であなたが伝えてるその感情!その感情を表す言葉!あの文献が初出らしいですよ。それが今まで残ったから、私たちは理解し合えているのです。
あと!凄いものだってそれをここがこういう風に凄い!って言っていかないと続かないじゃないですか。夏目漱石のこころは実は男同士の恋愛が核になってたかもしれない、凄い!とか。そんな感じで。
いやわかんないな。これは屁理屈では?
うーん。言葉って色々あるじゃないですか。英語日本語フランス語中国語色々。それの他に、数字だったり絵だったり。
自分の伝えたいことに1番向いてる言葉は何かって、人それぞれじゃないですか。
私が伝えたいことに1番向いてたのが日本語だったんですよね。
私の伝えたいことが何かって、それはこういうブログ記事のようなことだったり、それこそなんの役にも立たないようなことなんでこれだから文系はってなるんですけど、でも頑張って、みんなに凄い!ことを伝えられるようになるために大学で足掻くというのはありだと思います。それこそ、大学にはいろんな凄い!ことを私たちより先に伝えてきてくれたいろんな教授たちがいて、その人たちの凄い!を享受するだけで結構違うと思うのです。先生たちの使う言葉を生で聞いて、そうかこういう言葉でこの時は伝えればいいのかと分かるだけで、全然変わるはずです。いわゆるファンデーション塗る前の下地作り、塗装前のガンプラ、コショウ入れる前の味噌ラーメン、これシュレッダーしといてくれる?
そんな感じです。
ごめんなさい。
私みたいじゃない文系もいます。どうか文系を無くさないでください。
どうしてかって?悲しいからです。
寂しいよ〜〜なくなるの寂しい!!
日本文学学ぶの楽しいじゃないですか!!!
テーマパークを潰さないでください!!!
それだけです。
2018年を気持ち良く始めるための嘔吐
生える足がない
家に帰ってきたら、玄関でたくさん小さいカエルがびょこびょこ、びょこびょこしていたのでいつもより帰るのが10分くらい遅れてしまいました。家に帰ってきても、家に入らなきゃ、帰るって行為が行われたことにはならないんですね。親に怪訝な顔をされました。
そういえば最近夏の虫が鳴くのに対抗してゲコゲコ言ってる奴がいるなあと思っていましたが、あれはカエルだったんですね。ようく考えなくてもゲコゲコ言ってたらカエルだろって感じですけど私は気づいてなかったです。まだみぬラップバトルのように交互にゲコゲコビービーゲコゲコビービー主張していたのが今更真に迫ってきたのですよ。本当です。
私はおたまじゃくしが、いつカエルになるかこの歳になって初めて知りました。おたまじゃくしはいつもこっそりとオトナになっていて私がその瞬間をみることはついぞなかったのですが、あんだけ小さいカエルから考えるにきっと、今こそ、おたまじゃくしたちはこぞってオトナの階段を登っているに違いありません。
じめじめしていて、不快指数をしめすメモリが100回はぐるりとしそうなこの時期に、ようオトナになるなあと思いますがこれはもしや逆にツウなのかもしれないですね。
オトナになるのはきまって、夏休みが終わってから。というのが人間たちの常識の気がするのですが、どうでしょうか。田舎のおばあちゃんの家で、都会っ子が揉まれ揉まれて糠床につけられて、しおしおとなるのが夏休みじゃないのでしょうか。都会っ子は黒く焼けてノースリーブのワンピースがよく似合う女の子と、山の中でカブトムシをとってる間に迷子になって、2人で泣きながらみた夜空を宝物にする。そうして一つオトナになるのが、コレ、鉄板なんじゃないか。そう思って生きてきました。
おたまじゃくしはオトナになるのに、足を生やして水からあがっていきますが、人間がオトナになるっていったいなんなんでしょうね。別にこれ以上、足は生えないし、あがっていく場所も特にないし。都会っ子は何をもってオトナになってるのか、夏休みは人を本当に変えるんですかね。
夏休みに手柄を上げられるのも、癪なので、カエルのように、梅雨のクソみたいな気候の中サラッとオトナになってしまいたいです。別に足はこれ以上いらないですけど。
そう思いながら、外で納豆巻きを食べていました。オトナになれなくても、梅雨でも、田舎におばあちゃんいなくても、納豆巻きは美味しい。